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2004.01.30

アプセトネデフ。

今朝の記事にコメントを下さっている服部弘一郎さんのサイトをもう一度読んでみました。とても、いい内容だと思いました。道徳が大切な事なのは、わたしも思うところです。ですが、現実的には道徳というのはどうなのでしょうか。わたしが小学校の頃に「道徳」という科目がありました。あれではない事は確かだと思います。と、お茶を濁そうとしているのかもしれません。
要は、その道徳を共有できているかどうかが問題なんじゃないでしょうか。


ここで、『OSI階層モデル』を持ち出してわたしの思想を開かせたかったのですが、うまくいきませんでした。残念。


「何故、人を殺してはいけないのか?」という質問が質問者から投げかけられた時、たぶん、わたしは答える事が出来ないと思います。別に質問者がどう考えて人を殺すのは勝手だと思いますし。質問者が誰なのかという事もあると思います。
ただ、わたしが今まで人を殺してはいないし、これからも殺すつもりもないし、それはどうしてなのかという事をメリットとリスクの面からしか説明する事しかできないですね。大人としてというよりも、人間として。


他人が自分を殺さない、だから、自分も他人を殺さない。こういう暗黙的な信頼関係に基づくからという面もありますが、その一方が崩れようとしているのかもしれません。

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Comments

 「なぜ人を殺してはいけないの?」と問われたら「そんなものはいけないに決まっている」と答えればいい。「なぜ当たり前なの?」と問われたら、「ずっと昔からそういうことになっている」と答えればいい。実際問題として、どんな専門家だってそうとしか答えられないでしょう。

 「殺すな」「盗むな」「だますな」などを理屈で説明しようとすると、必ず例外規定を持ち出されて反論されます。こういうのは数学の「公理」のようなもので、他の理屈を持ち出して正しいことを証明することができないのです。

 孔子は道徳の基本を「己の欲せざる所、人に施すことなかれ」(論語)と説明していますが、これもまた理屈に過ぎません。「俺は死刑になりたいんだ」という宅間守を、孔子のこの言葉では説得することができませんからね。

Posted by: 服部弘一郎 | 2004.01.31 at 17:31

そういう考え方もあると思います。
わたしは『道徳』は共有されてこそ有効であると考えます。そして、もう『道徳』というものが共有されなくなってきているのではないかとも感じています。つまり、同じ『道徳』が共有できない人に自分の認識している『道徳』を用いて説得する事はかなり困難だと思います。

Posted by: master | 2004.02.01 at 04:40

 社会全体で共有できる「道徳」などもはやないでしょう。しかし「家庭」や「学校の教室」という小さな社会の中で、道徳を人類普遍のルールとして子供たちに教えることはできるはずです。自分の子供に「なぜ人を殺してはいけないの?」と問われたとき、「わからない」と答える親では困ります。そこでは正々堂々と「昔からそう決まってる!」と答えればいい。これこそが正解なのです。

 古代中国で道徳の一大体系を築き上げた孔子は、春秋時代の思想家です。春秋時代というのは、臣が主君を殺し、親が子を殺し、子が親を殺すという壮絶な権力闘争の時代です。これでは道義も道徳もあったものではありません。そんな時代の中で、孔子の思想は社会に受け入れられませんでした。しかしそんな時代なればこそ、孔子は道徳の復権を世に問うたのだと思います。

 道徳が社会で正しく共有されている時代に、道徳教育の必要がなぜあるのでしょうか? 道徳が失われつつあるからこそ、我々はもう一度「道徳」に立ち返らねばならないのです。テキストとして有益なのは、とりあえず大学、中庸、論語、孟子あたりでしょうか。これをそのまま実戦しようとするのはナンセンスかもしれませんが、道徳について考える重要な手がかりは得られるはずです。まずはご一読を。

Posted by: 服部弘一郎 | 2004.02.01 at 15:34

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